『わたし すきだったんだよね、』


引っ越してきたばかりの新しい部屋で、カーテンを付け終わった彼女が、 窓の外を見つめながらぽつりと呟いた。

「なにが?」

僕は尋ねた。
彼女は、ふふふと笑った。

『あったかさに包まれてた気がしたんだ。当時は気付かなかったんだけど。』

そのあと小さな声で、なんで気付かなかったんだろうって彼女が呟いた。 僕は、てっきり昔の恋人とか、好きだった人とか、そういう想い出話をしてるのかと思った。 まるで僕の気持ちや存在を無視して話し続けるもんだから、きっとそうなんだろうと、思った。

「なんで今そんな話...」

僕は思わず口に出してしまった。
その言葉をしっかり聞いていた彼女は、またふふふと笑った。

『ねえ、何の話だと思ってるの?』

そしてまた、笑う。
なんだかニヤリと笑って確信犯みたいだ。

「え、だから...」
僕の言葉に重なるように彼女が答える。

『わたしが、捨ててきた部屋の話よ。』

捨ててきた?
なんでそんな表現なんだ?僕は頭の中がはてなで覆われた。

『ずっとね、あの家から あの部屋から抜け出したいって思ってたの。 静まり返った家に、冷たい温度の部屋に、笑い声のない自分の家。 家族になりきれなかった あの家から抜け出したいって。』

切なそうに遠くを見つめる彼女は、一呼吸おいて、また話し始めた。

『でも、いざ家を出るんだって、 そうなったら、 この部屋から見えるこの景色も  この家から見るこの景色も、もう毎日見れなくなるんだって、 この部屋の午後から入る西陽のぬくもりが、実は好きだったなあってこととか、 日向ぼっこしながらお昼寝するのが好きだったなあってこととか、思い出したんだよ。

絶対早く出たいって、捨ててきた部屋なのにね。 懐かしいし、あの部屋のぬくもりが愛しく思えるんだよ。不思議だよね。』


そういって彼女はしばらく窓の外の夕陽を見つめていた。

『わたし すきだったんだよね、 あの部屋、きっと。』
そう呟いた彼女の横顔は、彼女が好きだったといった夕陽に照らされ、 とても美しく、 とても綺麗に、 僕には見えた。